bullet proof soul / side-B

じつは防弾仕様になっておりません

  スカイ・クロラ / 押井守   


公式サイト→ http://sky.crawlers.jp/index.html




観てから時間がたっているのに、どうもまとまらないので、だらだら書いていくことにします。普段以上に個人的な感想だし、思い込みベースのネタバレもあるので畳みます。






永遠の子供。ショーとしての戦争。転生。美しい映像に象徴的なキーワードをちりばめた映画。

オープニングから、戦闘シーンはトップガンスターウォーズを思わせる。あの薬莢ジャンジャンバリバリのシーンはマトリックスだ。
予告とネットで飛び交うキーワードから脳内で組み立てていたストーリーどおりの映画だった。それ以上ではなかった。と観た直後は感じていたのだけれど、後から思い返すと凄い映画だったかもしれない。時間がたってから自分で埋めていく隙間を持った映画だったんじゃないか。この映画には、"行間"や、"間"と思われるものがたくさんある。いろんなふうに解釈できる余白。言い方を替えるなら観客自身が埋めなくてはならない映画。その"間"という感覚はコミックのそれと近いかもしれない。

声優陣は悪くない。スイトもカンナミも、あの訥々としたしゃべりはリアリティを感じるし、トキノのややオーヴァーなところもアリだと思う。むしろダイナーのマスター(竹中直人だったのね)の必死さがウザかった。皆が煙草呑みなのも面白かった。命知らずのクラシックな飛行機乗りらしさ。死はすぐそこにあるもので、ぬるく引き伸ばすものではない。


カンナミはトキノに連れられて娼館に行く。彼らのセックスは息抜きや発散、或いは癒しのようだが、スイトのそれは確認か証明を思わせる。エロは無い。むしろ痛々しい。 と、ここまで考えて、やっと思い当たる。少女期におけるセックスとは、元々そういうものではなかったか。私はもう大人だ。年寄りだ。大人になると生きる事が格段に楽になる。日々変化があるし、むしろ変化の無い事、起伏の無い事を我々は歓迎する。キルドレは歳をとらない永遠の思春期、って、大変だよそれは。すごくしんどい時期じゃない。ものすごい閉塞感があって、なんとかしてそこから逃げ出したかった。私は早く大人になりたかった。思春期のまま生きることを受け入れるなんて。この映画で、株主の大人(だいたいがおば様方だ)が見学に来るシーンがある。観光気分で見て周り写真を撮り、そして彼らは言う。「あなた方が戦争をしてくれているおかげで、私たちは平和を実感できる」恐いことだけれど少し共感できる。それが大人である私の姿だ。テレビでアフガンやイラクイスラエルのニュース映像を見ながら私たちは言う。「こわいねえ。こっちは平和でよかったねえ」観戦するスポーツとしての戦争。別世界の出来事のような死。私たちが戦場の死体を目にする事はない。それはこの映画にも反映されている。撃墜のシーンはあるが死体は見せられない。主要キャラクターの死でさえ直接映し出されない。戦争は、死は、現実のようで現実ではない。


アニメに興味が薄く、ふだん劇場で邦画を観ない(すぐテレビでやる気がしませんか)私がこれを観ることにしたのはTVスポットの絢香の曲が印象的だったから。ちょっと違うんだけどディカプリオとクレア・デーンズの『ロミオ+ジュリエット』の予告でDes'ree の Kissing You が流れたときみたいな衝撃だった。それに加えて絵が。リアルな背景に薄味のキャラクターが乗っている絵が、アニメ慣れしていない私には新鮮だった。あの血の薄い感じが魅力的だった。スイトの虹彩の色が薄くて三白眼に見えるのだけれど、あれは外光が眩しい事の表現だったんだろうか。あの眼鏡と相まって近づき難い雰囲気があった。距離感、孤独みたいな空気を纏っていた。